初日記なので、私が獣医を目指す理由。
私の過去を簡単に書いていきたいと思います(*´∀`)
★============================
*about me
【0~6歳】
日本人の父、
中国人の母の娘として私は生まれた。
神戸生まれ、神戸育ち。
家族旅行で北海道に行き
父が「知床(地域)」に一目ぼれしてしまう。
【6~8歳】
小学一年生に上がろうとしたとき、
「北海道に行くぞ!」
という父の突発的な発言により。
急遽、北海道に引っ越し。
全校生徒12人の小さな学校に通い始める。
関西弁がヘンだと、イジメを受ける。
上履きにガビョウを入れられたり。
悪口を言われたり。
集団で囲まれ、暴言を投げつけられたり。
授業に出てくるな、学校に来るな、
関西に帰れとも言われ。
小学一年生の5月。
不登校になってしまう。
親は転校しようと言ったが、私はその気にならず。
家に引きこもっていた。
そんなとき母が仕事を休み。
私を毎日「網走原生牧場」に連れて行ってくれた。
北海道ならではのカンセリングだった。
馬、牛、ラマ、羊、ヤギ、ウサギ、ニホンザル、ネコ、犬、ロバ、トリなどと触れあい。
動物が好きになっていった。
北海道に来ても、人間の友達は一人もできず。
動物の友達だけが増えていった。
そんなとき、飼っていたハムスターが死んでしまい。
初めて命の儚さ、尊さ、大切さを知った。
動物たちに助けられ、
動物たちから「命の大切さ」を学び。
獣医になりたいと決意する。
それから私は再び学校に通いはじめた。
【8~12歳】
祖父母の介護のため、神戸に戻ってくる。
中国と日本のハーフに生まれた私は母の希望により、
中国人学校に通いはじめる。
家族内での会話は日本語なので、
当時、私はまったく中国語が話せなかった。
入学試験に落ちてしまい。
小学生で留年をしてしまう。
(小学二年生を二回)
二年間、北海道に住み、北海道弁になっていた私は。
また、言葉がなまっているという理由でイジメられる。
留年したことも理由の1つのようだった。
そのとき母が私にセキセイインコを飼ってくれた。
名前は「アオイ」
また私は学校になじめず、友達はインコのアオイだけだった。
アオイのおかげで不登校にならず。
毎日学校に通うコトができた。
1から始めた中国語も
みんなに追いつくようになった。
全部アオイのおかげだった。
部活に入れば友達ができるはず。
そう思った私は小学四年生からバスケ部に入る。
バスケ部に入ると、朝も放課後も練習があり。
それを理由に私はアオイの世話をしなくなる。
バスケ部に入ってもなかなか上手くならない私は。
先輩や同級生からもハミゴにされていた。
練習のときのチームわけでは、いつも余り。
「そっちのチームにあげる」
「こっちはTeRinaなんていらない」
「じゃぁ、いるかいらんかどっちんグしよか」
(ジャンケンで負けたほうが私をチームに入れるというもの)
こんな光景は毎日のコトだった。
試合のときのお昼休み。
お弁当を食べるときも。
私のイスだけ用意されていなくて。
私はいつも一人で試合場の隅に座って。
ご飯を食べていた。
試合を見に来たいといつも言っていた母に。
そんな姿を見せたくなくて、
私は一度も母をバスケの試合に呼ばなかった。
最初から最後まで、
バスケをしている私を母に見てもらうコトはできなかった。
バスケ部にいて一番辛い時期に・・・・
アオイが死んだ。
バスケ部の練習がキツイという言い訳で、世話を怠った結果だった。
私は初めて、自分の友達を。
自分で殺してしまった・・
私が世話をしなかったせいでアオイが死んだ。
私が殺したも同然だった・・。
私は毎日泣いていた。
それを機にバスケ部もやめた。
アオイの命をムダにはしない。
この償いは必ずする・・
獣医になる。
その想いを更に強くした。
【12~15歳】
中国人学校の中学部に進学。
獣医になるには相当の学力が必要だと知った私は。
小学生のときから猛勉強を始める。
その結果、定期テストでは。
学年1位をつねにキープしていた。
(私のいた学校は上位5位の成績を毎回発表していた)
中学生活は順調、だと思っていた。
しかし・・
中学二年生になったとき、
教科書がなくなったり、
机に「死ね」と掘られていたり、
影口を叩かれるようになったり、
ノートが破かれていたり。
誰がやったのか、分からない。
陰湿なイジメが始まった。
中学人学校からの公立高校進学は難しい。
内申点が厳しいからだった。
高校受験に対しての誰かのストレスが
私に向けられるようになった。
そのうち
「あんた見るとムカツクわ。」
「とっとと成績落とせよ。」
「TeRinaが順位落ちたら、私の順位は上がるんだから」
こんなことを正面切って言われるようになった。
信用していた友達にそういわれ、私は不登校になってしまう。
中学二年生の11月のことだった。
小学生で不登校になったときは「自殺」なんて選択肢はなかった。
でも中学二年生で不登校になったときは。
「死にたい」
頭の中はそれだけだった。
毎日リストカットを繰り返し、腕に「死ね」と彫ったり。
首にナイフをつきつけたり。
マンションの屋上から何度も飛び降りようとした。
家出もしょっちゅうで
母が捜索願いを出し、警察もよく出動していたようだ。
4回目の家出のとき、少年係の警察官に呼び出され。
「何かあったら来い、話くらい聞いたるから」といわれた。
このままじゃダメだ・・・。
獣医になると誓ったのに。
なんでこんなことになったの・・?
そんなコトばかり考えていた。
自分はもうダメだ。
獣医になんて絶対なれない。
そう思って、毎日泣いた。
毎日自分を傷つけた。
自殺サイトで一緒に死ぬ仲間を探したり、
死に方を必死に調べていた。
そんなとき、私は運命を変えた。
とも言える、大きな出会いをした。
「アニマルレフュジ関西」
ここは人間に捨てられた、虐待を受けた。
そんな動物を保護する
アニマルシェルターという施設だった。
ボランティアを募集しているコトを知った私は
大阪まで往復4時間、
交通費2000円を使い、ボランティアにかよい始める。
最初はどの動物も私を見て、ほえた。
怒った目をしている子。
おびえた目をしている子。
悲しそうな目をしている子。
その動物たちにも辛い過去がある。
私と動物たちの共通点だった。
そこでのボランティアは主に散歩、エサやり、遊ぶコト。
最初は誰も私に近寄ってくれなかった。
私を見て怯えていた、警戒していた。
だけど、1ヶ月、2ヶ月。
毎日通うにつれ、誰も私を見てほえなくなった。
しっぽを振ってくれる子も増えた。
施設のスタッフさんとも仲良くなり
いろいろな話を聞けるようになった。
そして保健所での殺処分の現実。
シェルターにいる一匹一匹の動物たちの過去。
それを聞いているうちに、涙が止まらなくなった。
ペットブーム、動物好きの人が増えてる。
その裏にこんな悲しい現実があったなんて。
私でできることなら、
この子たちのために、何でもしてあげたい。
殺処分をなくしたい。
命を救いたい。
自殺しようとしたとき、この子たちが私を救ってくれた。
私の命が今ここにあるのは。
この子たちのおかげ。
私は何度も動物たちに命を救ってもらった。
生きるコトを教えてもらった。
次は私が獣医になって、救う番。
私は学校に行くことを決意した。
でも中国人学校に戻るのはもうイヤだった。
中学三年生、中途半端な時期だった。
けれど私は中国人学校から。
普通の公立中学に転校することにした。
【15~歳】
中学三年生からの転校は辛いものだった。
この時期となると女の子のグループは固まっていて。
私は孤立していた。
休み時間も話す相手がおらず。
授業でのグループ分けも上手くいかなかった。
クラスで私だけグループが決まらず。
修学旅行には行かなかった。
一人というものを、初めて経験した。
中学三年生、受験があり。
ずっとボランティアに行くわけにも行かない。
学校に行かないと、高校には行けない。
学校に行く、そう誓った。
学校に行っても一言も話さない。
そんな日もしょっちゅうあった。
家に帰ってきて、愛犬に癒してもらったり。
母に泣きながら話を聞いてもらったり。
私はなんとか耐えている。
それが今の私です(*´∀`)
私は今、中学3年生、16歳です。
獣医になりたいと思って10年目。
一度も夢が変わったコトはありません。
私は本気です。
獣医になります、必ず。
そのためにも頑張ります。
夢がある方、獣医になりたいと思っている方。
ぜひ仲良くしてください(*´∀`)
夢は必ず叶います♥(。→v←。)♥
諦めず、追い続ける勇気さえあれば。
最近のコメント